NHKの数ある長寿番組の一つである、鶴瓶の「家族の乾杯」は、ろくな番組のない月曜午後8時では、ましなコンテンツの一つではあろう。しかし私は、この番組が息苦しくて正視できない。

毎回鶴瓶とゲストのタレントが、全国各地を回ってアポなしで土地の人と交流するというものだ。間もなく95歳になる久米明がナレーターを務めることに象徴されるように「長寿」「高齢者」向けの番組だ。

この番組では、東京や大阪などの大都市が舞台になることはまずない。地方、主として農村、漁村、山村が舞台だ。ここで鶴瓶とタレントが、誰彼なしに声をかけて、その家に上がり込んで食事やお茶をごちそうになったり、農作業や工場などの現場を見学したりする。
鶴瓶はともかく、アポなし取材などしたことがないタレントにとっては、度胸試しのようになる。思わぬ人間性が明るみに出ることもあり、そのことは興味深い。今、うんざりするほどある「アポなし取材番組」の原点の一つでもあろう。NHKらしく丁寧に後追い取材もしていて、見やすい番組でもある。

結果的に、毎回、地方の比較的富裕な家が紹介される。圧倒的に多いのが、3世代、4世代が一緒に住んで生活にゆとりのある家族だ。母屋の近くにきれいな家を建ててもらって住んでいる家も多い。いわゆるマイルドヤンキーも良く登場する。

しかし、都会の片隅で息苦しく生きているサラリーマンや、地方でも困窮しつつある限界集落の老人などは、絶対に登場しない。地方で急増している外国人労働者も出てこない。つまり「不幸せ」は絶対に出てこないのだ。
結果的に、日本社会で広がりつつある「貧富の格差」の「冨」の部分だけを毎回見せつけられるような気がして、息苦しくなる。
NHKは昔から「ふるさとの歌まつり」など地方を大事にする番組を作り続けてきた。都会にはない「地方」の素朴な良さを伝え続けてはきた。しかしじりじりと貧窮する「地方」の実態は、伝えてはいない。

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私は昔から「地方の町起こし」的な仕事をしてきた。一時は田舎に拠点を移そうかとも思った。しかし、地方は都市生活者には生活が厳しい場所でもある。排他的でいろいろな因習があるということもあるが、基本的にインフラが整備されていないから、何をするのも不便だ。
それに加えて、年々経済力が落ちている。同じ地方に何度も行くことが多いが、行くたびに活力が失われ、衰弱していることを実感する。挽回の手立ては極めて少ない。地方そのものが今、孤独死、衰弱死しつつあると言っても良い。

そうした地方の「負の側面」には、この番組は一切触れない。

そして笑福亭鶴瓶である。私はこの人を少しだけ知っているが、一種の「人たらしの怪物」である。その場であった人の顔と名前をあまさず記憶し、彼らを一瞬で虜にする。大したものだと思う。
鶴瓶はそうした一度だけの出会いも、絶対に忘れない。何年前に一度だけ会話をした人も、思い出すことができる。そういう圧倒的な「人間力」が彼の成功の原点だが、この番組に登場する人は、鶴瓶に易々と篭絡されるのだ。本当は行きずりの関係以上ではなく、NHKや鶴瓶に利用されただけなのに、純朴な人々は、太い絆が出来たように錯覚してしまうのだ。

毎回、こうした「ほんの一握りの幸せ」だけを繰り返して見せられているうちに、何か見せたくない「不都合な真実」から目をそらされているような訝しさ、怪しさを感じるようになったのだ。

ちょうど「甲子園の熱狂」が結果的に「野球離れ」や「野球による健康障害」から人々の目を逸らせることになっているように、「何かを伝えたくない」力が働いているように感じて、正視できなくなっているのだ。

teramachi


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