私は「民主主義」というのは「政治」あるいは「権力闘争」を、「殺し合い」「奪い合い」ではなく「スポーツ」にするためにできた「ルール」だと思う。
旧来の「政治」「権力闘争」では、そもそも参加者が決められていた。ゲームに参加できるのは特権階級や力が強いものだけだった。しかし「民主主義」では、その社会、国に属するすべての人が「プレイヤー」として参加できる。そして基本的には「同じ権利」を有している。

争うのは「利益の分配」というゲームである。従来は、力の強いもの、身分が上の者が利益を総取りしていたが「民主主義」では、プレイヤー全員が利益の分配にあずかる権利がある。
プレイヤーは「最も公平、公正に利益を分配してくれるもの」を代表者として選出する。「権利」は、「参政権」という形で行使される。

これによって選ばれた代表者を「政治家」という。「政治家」は、公平な利益の分配を図らなければならない。ここで重要なことは「政治家」は、「自分に投票してくれた人」だけに利益を分配するのではないということだ。その「政治家」に投票しなかった人も含めて、その国、その社会全体に、公平に利益を分配しなければならない。
なぜなら「政治家」は、立候補するときに「私が属している社会、国民をすべて幸せにします」と約束するからだ。これを「公約」という。それ以外の約束は、基本的には民主主義国家ではしてはならない。「公」とは、自分の支持者のことではなく、その社会に属するすべての人のことを言うのだ。
「政治家」は、自らに賛同する人だけでなく、反対する人も含めたすべての人の「利益」を守らなければならない。

これが本来の「政治家」だった。彼らは本音としては自らを支持する人だけのために利益誘導をしたかったかもしれないが、それを言うのは「民主主義」のルールに反していたし、高邁な理想を持つ政治家にとってはプライドが許さないことだった。

日本という国家で、最初にこれを崩したのは田中角栄だったと思うが、彼はアウトローに終わった。昭和時代の国政政治家は、自らのプライドにかけて、特定の人だけを優遇する様な事を口にすることはなかった。

留意すべきは「正しさ」「正義」は、このスポーツの判断基準ではなかったということだ。「正しさ」「正義」は立場が変われば180度変わる。「正義」は一方の側に拠った独尊的な見方であり、それはこのゲームの決め手にはならなかった。大事なことは「公平さ」「公正さ」だった。

しかし、平成に入り「民主主義」のルールは徐々に崩れていく。その背景には、高度経済成長が終わり、バブルが終わり、多かれ少なかれすべての国民が「富の分配」にあずかれる時代が去ったことがあるだろう。

限られた「富」を分配する際に「自分を支持する人により多く分配したい」と思う政治家が出始めたのだ。
その最初は小泉純一郎だったと思われる。もともと自民党ではアウトローだった小泉は、国民の支持を得るために「特定の層にだけ受ける」公約を発表し「自民党をぶっ壊す」とまで言って多くの国民の支持を取り付けた。要するに「民主主義」というスポーツの意味を変質させたのだ。

民主党政権はその反動で誕生したが、彼らはプレイヤーとしての能力がなく、失脚した。

そのあとに生まれた安倍晋三政権は、自らの祖父が夢見て果たせなかった「政治、経済、官僚のエリート主導による国家主義」を実現させるために、民主主義というルールを露骨に破壊した。
自らを支持する有権者を優遇し、反対する有権者やメディアに圧力をかけた。結局、この政権の間に日本では「民主主義」というスポーツは完全に骨抜きにされた。競技をする前から勝敗が明らかな「八百長ゲーム」に変質したのだ。

もはや安倍晋三は、この国の利益の代表者ではなく、「利益の公平な分配」も考えていない。
選挙で口にした「あんな人たちには負けない」という言葉や「民主党という悪夢の時代」という言葉には、彼が全国民の代表者ではなくなったことを意味している。彼は自国に「敵」がいることをはっきり認識しているのだ。

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「民主主義」のルールを変質させた安倍晋三は、自民党という民主主義政党の出身だから、おそらく極めて後ろめたい気持ちを持っている。それがあるから選挙では必死に勝とうとするし、常に「敵」を作って有権者の関心をそちらに向けようとする。

7月の参議院選挙中に実施された「韓国に対するホワイト国はく奪」は、まさにその象徴である。この問題は、文在寅というこれまた「民主主義」のルールを理解しない珍プレイヤーが始めた挑発ではあるが、安倍晋三はこれを奇貨として、政権維持に利用したのだ。
そもそも、韓国は「民主主義」というスポーツのルールを理解しないまま経済大国になった。「痛い国」だったことは間違いない。文在寅もその一人だが、政治手腕がなく、ひどい無能政治家だったために、経済政策に失敗し、日本に責任を押し付けるしかなかったわけだ。

しかし韓国のこの判断が、安倍晋三にとっては、神風のようになった。国内の矛盾、富の分配がうまくいっていない現状を、すべて韓国に押し付けることができたのだから。
韓国でも日本の「ホワイト国はく奪」をきっかけに、国がまとまりつつある。両国の指導者は、心の底で互いに感謝しあっているのかもしれない。

民主主義というスポーツは今、世界各国で崩れ始めている。富の配分は、再び「パワーゲーム」へと変貌していくだろう。要するに「戦争」という別のゲームで決着をつけることになるだろう。
その際にボールとして蹴られるのは「人命」である。

「戦争前夜の空気」は、このようにして醸成されている。


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