hanashi-ita
五代目文枝「愛宕山(あたごやま)」


五代目文枝(1930-2005)は、長い間三代目桂小文枝を名乗っていた。上方落語協会の会長に就任した時も小文枝だった。上方落語四天王のひとりとして、すでに一流をなしていたが、文枝を襲名し、六十歳を超えたころから、一層華やぎを増したように思う。

 

もともとやや臭めの演技だったが、このころから大げさな演技がすんなりと聞きやすくなった。「芸が大きくなった」とはこういうことかもしれない。

 

春先、芸妓、舞妓、幇間を引き連れた豪勢な野遊びの風景。文枝が演じると、舞台がぱっと華やぐ。上方の世話物の芝居の幕が開いたようなあでやかさ、ときめきがある。

 

この噺を得意とする噺家は、東西に多いが、愛宕山に登るまでの賑やかさ、楽しさは文枝に尽きるだろう。

 

頭のてっぺんから出るような嬌声も、大げさな所作も、まったく嫌みがない。たった一人で舞台をここまで明るくすることが出来るか、と思える。

 

春霞が漂うような導入部から、かわらけ投げへと舞台が変わる中盤、演者は、物見遊山の華やぎの中から、若旦那と幇間一八の確執のドラマをせり出させなければならない。

 

文枝は、ここで屈託のある幇間一八をリアルに描く。若旦那への反発、金への執念、そんなぎらぎらした情念が、春霞を霧消させ、噺はにわかに緊迫感を帯びる。

 

クライマックスは、傘を手に谷底へ飛び降りた一八が、竹をしならせてその反発で揚がろうとあがくシーンだ。

「いま行きますさかいになあ、待っとくなはれや」
熱に浮かされた病人のように、文枝演じる一八はこの言葉を繰り返すのだ。そこには黒光りするような“慾”と“執念”が、ごそっと音がしそうな手触りで存在している。華やかな芝居を現出して見せた文枝は、ここにきて、非情なリアリストになるのだ。聴衆はぐいぐいと引き寄せられる。

 

そしてさげへ。切れ味のいい大団円が待っている。快感がある。

 

何度も文枝のこの噺を聞いたが、いつでも精気に満ち溢れ、素晴らしい出来だった。

七十歳を超えても血色がよく、一流企業の重役のような貫禄があり、いつも上機嫌だった文枝。その突然の訃報に驚いた。

このたび新しい文枝ができるが、これを機に、こんな華やかな噺家がいたことに思いをはせていただきたい。

 



私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください! ↓