hibikore

日本中のだれもが、「スギちゃんは、いつまで」と思っている。本人もそう思っている。


杉ちゃん

「ワイルドだろー!」だけで、世渡りをするのは、田んぼのあぜ道を一輪車で走るようなものだ。
こけて泥まみれになるのはそう遠いことではない。

R-1ぐらんぷりのRとは「落語」のことであり、ピンの芸、とりわけ落語に代表される話芸のためのコンテストだ。
M-1グランプリに対抗してのイベントではある。2002年に始まった。
しかし、ピン芸ならば何でもアリという企画になったため、最近は漫才のかたわれや、マジシャン、素人までが出演し、話芸というよりは一発芸に近いものを披露する催しになった。

2012年のファイナリストCOWCOWの多田もコンビの片割れだ。相方の山田もR-1の常連だが、このコンビは周到に用意したネタをめくりを見せて披露する「めくり芸」だ。
安定感はあったが、あらかじめ考えていたストーリーをそのまま見せているだけだから、鮮度感に乏しい。手品のネタを披露されているような感じがした。

準グランプリだったスギちゃんは、全くのダークホースだったし、ネタもやけくそみたいだった。しかし、丸っこい中年太りの体は愛嬌があったし、虚勢をはるしぐさもかわいかった。
ポイントは「ワイルドだろー!」という言葉をうまく重ねて笑いを取っていたこと。

一発芸とは、一言でいえば大人に「赤ちゃん笑い」をさせるような芸だ。
赤ん坊に「ばぁー」っというと笑う。もう一度やるとまた笑う。繰り返すと次の「ばぁー」を期待して笑う準備をするようになる。ここにじらし気味に「ばぁー」っとやると、笑いはさらに大きくなる。
やりすぎると飽きるし、少し成長すると笑わなくなるが、あるタイミングでハマると、笑いは大きくなるし、しつこく笑う。

波田陽区、ダンディ坂野、長井秀和、小島よしお、こうした一発芸人は、最近だけでも枚挙にいとまがない。
事務所も吉本から弱小までいろいろあるが、共通しているのは「ギター侍の波田陽区」「ゲッツ!のダンディ坂野」「まちがいない!の長井秀和」など、たった一語で芸風を語れること。これが彼らの「ばぁー」なのだ。
TVのコンテスト系の番組でデビューした芸人が多いこと。
さらに言えば、松本人志からは絶対に声がかからないこと。

彼らは、テレビで猛烈に消費されていく。毎日各局に出演しておなじことをやらされて、笑いをとっていく。「盛りが短い」ことも「芸で評価されているわけではない」ことも、彼らはよく知っている。
周囲だって一発芸で終わることはよくわかっている。しかし、どうすることもできない。味わい尽くされ、抜け殻になるまで、ただただ走り抜けるだけだ。

テレビ局がこういう一発芸人をほしがるのだ。刹那的でもいいから、視聴率がほしい。いるだけで注目度が上がるようなタレントがほしい。使い捨ても承知の上で、こうした芸人を作るのだ。幕の内弁当につけられた甘くて毒々しい色のゼリーのようなものだが、目を引くのだけは間違いない。

今の芸人は、漫才やコントなどで世渡りをするわけではない。テレビの向こうで雑談をし、大して面白くもないお遊びをし、俳優やタレントにからみ、MCをし、食事をし、動画を見て感想を述べる。要するにテレビの向こうで「普通に生活をする」ところを見られて飯を食うのだ。
故ナンシー関はこれを「動物園の動物」にたとえた。こうした「動物」になることが、今の芸人の目標だろう。こうなれば不祥事を起こさない限り、長く生きていくことが出来る。

興味深いことに、一発芸人は「動物」になることはほとんどない。仲間に入れてもらえないのか、芸がないからなのか、恐らくは両方だろう。

スギちゃんは一発芸人の一人であるのは間違いないが、好感度が高い。苦労人なのだ。吉本を皮切りに所属事務所を転々とし、宝くじに当たるようにスターダムに躍り出た。自分の境遇は、十分にわかっている。

しかし、彼はいい役者になるかもしれないと思える。 ドラマでいえば、喫茶店のマスターや、交番のお巡りさん、時代劇なら地方の藩から出てきた浅黄裏の田舎侍。善意の塊のような平凡な市井人。
ストーリーに深くかかわることはないが、日常のリアリティを醸し出す貴重な素材。

来年、このタレントがいる可能性はそれほど高くないだろうが、次に会うときは、ドラマの片隅で人懐こい顔で、笑っていてほしいような気がした。

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