一

 

ケータイにメールが入ったことを知らせるいい加減なメロディで、栄春は目が覚めた。十時をまわっている。フローリングの床に敷いたホットカーペットに、モンベルのナップザックを枕にして寝ていた。

〝ちゃんと家に帰っていて、独りやということは、打ち上げから流れて飲んでいた沙耶はカかなかったらしい。向こうは十分その気やったみたいやし、怒ってるやろなあ。けど、おれももう三十やし、別に不自由してるわけでもないし。こういうのも芸人らしいんとちゃうかなあ〟
 

〝夕べは先輩のタバコの煙が鬱陶しかった。ほんまに売れへん噺家ほど「芸談」が長いし、しまいには愚痴やら売れてる仲間の悪口になるし。そんなん安い居酒屋で聞くぐらいなら、ちょっと発情したような顔してた取り巻きの沙耶に目配せして、二人で飲んだほうがよっぽどええ、と、ここまでは良かったんやけど、寝不足で、飲みすぎも重なってたから、途中で記憶がなくなって、振り切って帰ってしまったらしい。ポケットにタクシーの領収書も残ってるし。だらだら思い出してたら、メールの中身があらかた見当ついた。読まんと消したろ〟


〝今日は一時から踊りのお師匠さんの所へ行ってお稽古して、それからバーテンダーの教室。サイドカーの二回目や。(A新聞の田中のやつ、「バーテンダーの勉強してます」いうたら、「大変だね」言いよった。違うわい!こっちは趣味で、金払て習っとんじゃ!)。あ、そうそう頼んでた『バーラジオのカクテルブック』梅田のジュンク堂に取りに行かなあかん。これで予定終了やから、あとは「鶴の巣」でボルシチ食べて、堀江の「SKY」行って、真理ちゃん口説いたろ。せや、そろそろホームページ更新しとこ。邪魔くさいけど、サーバーただで借りてるし、これで女の子ひっかかることもあるし、マメにしとかんと〟

 

      二

 

「おまはんみたいに、頭が良うて、勘もあって、見た目もしゅっとした若手が、なんでもうちょっと頑張らへんねん。踊りひとつでも、指先や目の動きや、所作の一つ一つに気持ちを入れたら、噺に活かせるやろが。それを素人の旦那衆みたいに、形ばっかりきれいに作りやがって。動きも息も、みんな流れてしもてるやないか。ええ加減に性根いれたらどうや!」


〝えらいとこで、喬志のお師匠はんに会うてもうた!そらあんたは「オタク」や。何しろ上方落語協会で親睦のクラブ作る話が出たときに、「落研やりたい」いうた師匠やからな。落語一本でこれだけ売れてはるんやから尊敬もしてまっさ。ほんでも、こちとら頑張らんでええからこの世界に入ってん。親父も兄貴もエリートで、おれも国立大出て、こんなことしてる。この落差がええのや。苦労してきはった師匠にはわからへんやろけど、こんな噺家が出てきてるんでっせ。生き方が違うんでっさ〟


へえへえと頭を下げながら、腹の中でぶつくさ言うてると、「いまいまし!」という顔で喬志は立ち上がり、弟子がハンドルを握るクレスタに乗り込んだ。
 

“もうちょっとええ車乗らんかいな”


栄春はちょっと舌を出した。


だっと外に出て、新地のバーテンダー教室へ。


〝バーテンダーの格好も板についたいわれた。当たり前や、蝶タイからチョッキからシャツからズボンまでみんな誂えや。そのままの格好で「
SKY」行ったら、ようモテた。真理ちゃんはいてへんかったけど、初めて会うた素人の子とホテル行ったった。二つもカイた。おれも若いなあ〟


 

     三

 

「あんたはんもこの噺、おろすんだっか。わても勉強してまんねん。また、教えておくなはれ」

〝うわあ、えらい訛りや。九州や言うてたな。この人。おれより兄弟子やけど、まだ気いつかんのかいな。あんたは鉛より重い鉄や。なまりなら水に浮いてる間があるけど、あんたはトポンとすぐ沈むくらいきついで。落語は無理やがな。漫才やったら、いとこ・はとこ先生みたいに、訛りがあっても通用するけど。うちの師匠みたいに徹底的に言葉直してもらえるとこ行かんと、捨て育ちの師匠のとこ行ったから、十年経ってもこれや。ええ男やけどなあ。地方から出て、苦労して噺家やってる。でも、おれとは所詮住んでる世界が違うで〟


〝それにしても、何やこの太鼓は。誰の弟子や知らんけど、何ちゅう叩き方さらすねん〟

思わず撥を取り上げて「一番」を叩いてしまう。
〝鳴り物も笛も鼓も三味も、ひととおりきっちり習た。筋がええ言うてもろた。要領の良さいうのは、受験だけやのうて、何にでも通用するのやな。同期では何さしても一番やった。もっとも、南座の顔見世興行で、芝居の囃し方のすごい撥さばき見たら、グウの音も出えへんかった。あの人らについて習たらほんまもんになるとは思たけど、芸人をちょっと下に見るような視線にかちんときて、そのまんまや。弟弟子の栄若と栄六は、そのときから芝居の囃し方について習たから、今では手が足りんときに歌舞伎の下座もしてる。「ええバイトになりますわ兄さん」て、言うてるけど、そこまでしたないねん。洒落のうちでええねん〟


〝今日は、栄蔵兄貴の会の三つ目に出る。兄貴のお客は笑いのツボがわかってるええお客や。久しぶりに「七段目」(これは喬志師匠のDVDで覚えた。息も間も完璧や)を気持ち良うやった。舞台袖見たら、嵌めモノの太鼓を兄貴が叩いてくれてる。さすが、息が合う。兄貴も有名私大出やし、気が合うんや。客席のうしろにちょっと目立つ女の子がいた。仲入りのときにじーっと見てたら、兄貴が「あかんあかん、あれもうカイたで」やて、嫁はんも子供もいてるのに、さすが兄貴や!〟



 

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