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「東電OL殺人事件」は、日本社会の分水嶺の上に引っ掛かっている古びた布切れのようなものだ。

奇怪な事件である。
 

父は東電のエリート社員で、自身も慶應大学を出て総合職として東電に入社したOLが、何者かに殺害された。

彼女は仕事の一線に立ちながら、夜は最低レベルの売春婦として、金のない日本人や外国人労働者を客に取っていた。彼女は拒食症を患っていた。そして、渋谷区円山町の空き家で、恐らくは客の一人に殺されたのだ。


犯人として挙げられたゴビンダ・マイナリは、ネパールからの出稼ぎ労働者。ゴビンダは彼女にとって始めての客ではなかった。


彼女が捨てた(と思われる)避妊具に残された体液からゴビンダのDNAが出てきたことが、逮捕の鍵となったのだが、売春婦のことであり、ゴビンダの前後に客をとっていた可能性は強かった。事実、精液や陰毛から別の人間のDNAも出ていたのだ。

検察はゴビンダを起訴した。一審の東京地裁は、「被害者が被告以外の第三者と現場にいた可能性も否定できない」として無罪とした。


だが、二審の東京高裁はこれを斥け、「被告以外の第三者が被害者と現場の部屋に入ったとは考えがたい」として逆転有罪とした。


この二審の判決を最高裁も支持し、上告を棄却してゴビンダの無期懲役が確定したのだ。

 

ノンフィクション作家、佐野眞一は、この事件に「耳が勃起し」、徹底的に調べ上げた。犯行があった渋谷円山町からゴビンダの故郷ネパールまで足を運び、裁判も傍聴し、話を聞き、『東電OL殺人事件』という本にした。

悲惨なことに、この本では被害者OLは実名で登場する。彼女の生い立ち、家族との関係。そして職場での人間関係や境遇が、そのまま露わにされている。
 

犯人とされたゴビンダの半生も、克明に描かれている。被害者OLとゴビンダが、どのような接点を持ったかも調べ上げ、その過程で、ゴビンダは犯人ではないと確信するのだ。

 



「東電OL殺人事件」は佐野眞一のこの本を抜きにしては、語れない。新聞やテレビの報道だけでは、恐らく「OLが外国人に殺された」というだけで済まされたはずだ。
 

実際には、被害者と被疑者の周辺には、20世紀末、大きく変貌しようとする日本のゆがみ、ひずみが諸相を見せていたのだ。


エリートだが将来がないOL
日本にいても居場所がない外国人労働者。
お粗末な捜査で犯人をねつ造しようとする検察。
誰かの意向に沿って口当たりの良い判決を出す司法。
エリート社員をして売春に走らせ、この事件を矮小化して済ませようとする東電。

 

そこには一片の正義も、誠実も見られない。あたかも社会の底が抜けたように、救いようのない暗黒が広がっている。


これまでの日本にあったはずの、人と人との紐帯が失われ、人が人を慮る美質も失われた。大企業のモラルも色あせ、国家権力の責任能力、統治能力も劣化が進んだ。

 

諸相から見えるのは「日本の劣化」「日本人の劣化」だった。

 

ゴビンダ・マイナリの再審開始と無期懲役刑の執行停止が、東日本大震災の翌年に出されたというのは、暗示的だ。


震災後の対応で政府は無能をさらけだした。東京電力は、国民から負託された責任を自覚せず、自己防衛にのみ走っている。


「私たちはこんな人たちに、国やエネルギーの将来を委ねていたのか」という思いを強くしている。


「どこまで堕ちていくのか」と思っている。


まさに、この時期に、国、東電を巻き込んだ事件の再審請求が認められた。司法がまともに機能したのだ。

気の利いた解釈ができないことに忸怩たる思いはあるが、これを明るいニュースとして受け止めたい。 


このニュースが、どこまでも堕ち続けている「日本」「日本人」が、ようやく「底を打った」兆しであってほしい。


「正しさ」「まっとうさ」が光を回復する兆候であってほしいと思う。

 

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