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刺青というのは、特に東洋では何らかの「記号」である。

中国には項羽と劉邦の時代に、黥布という将軍がいた。智謀のある勇将だったが、若い頃に罪を得て顔に入れ墨を入れられた。このために本名は英布だが、黥布と呼ばれた。「黥」とは刺青のことだ。彼の顔には「何をするかわからない曲者」という記号が刷り込まれていただろう。事実、黥布は、項羽、劉邦を共に裏切り、最後は反逆者として殺されている。
 

魏志倭人伝には古代の日本人のことを「男子は大小と無く、皆黥面文身す」と書いてある。顔も体も全身刺青だらけだったのだ。その頃の海洋民族にとっては、同じ入れ墨を彫っている人間は「同族」だった。また、海の神の「加護」をも意味していたようだ。


しかし、中国から刑罰としての刺青がやってくると、一般の日本人は刺青をしなくなった。刺青をする(される)というのは、中国同様「罪人」を意味するようになったからだ。


江戸時代には、刺青は刑罰の一種として制度化された。刑罰としての刺青には、何段階かがあった。一番軽いものは、腕。重くなると額に入れ墨をした。一目で「罪人」とわからせるためだ。


こうした刺青者の多くは正業には就けないために、博徒などになった。刑罰としての刺青に加えて、自ら様々な文様を入れるようになり、刺青は「罪人」に加えて、「アウトロー」の記号にもなった。


さらに刺青は、施すと完全に消し去ることが困難なことから「一途に何かを貫き通す」記号にもなった。やくざが任侠道を貫くと言った大げさなものから、

「母の名は、親父の腕に しなびてい」

という江戸川柳に見られるように、男性が女性への永遠の愛を誓うために、二の腕に「おまさ命」などと彫るようになったのだ。


もちろん、そうした意味に加えて、刺青には「サディズム」「マゾヒズム」といった性的な記号も濃密に含有する。むしろそういう趣味で刺青をする人が多かったのだろう。

 



明治維新になり、刑罰としての刺青はなくなった。しかし、この時期から、侠客、博徒などは、装飾的な刺青を盛んに彫るようになった。「アウトロー」の記号として刺青はさらに強く定着していった。
 

明治241891)年、日本を訪問したロシア皇太子(後の皇帝)ニコライ2世は、長崎で右腕に刺青を入れている。欧米では、「アウトロー」の意味合いは弱く、「強さ」や、「東洋的神秘」という意味合いが強かったようだ。


力士は、江戸時代から大名家に抱えられることが多かったために、刺青をすることは稀だったが、博徒、侠客が深くかかわっていた大坂相撲には何人か刺青をした力士がいたようだ。
昭和戦前、田岡一雄とけんか沙汰を起した宝川という幕内力士は「華」という文字を二の腕に入れていたという。現在もごく一部の力士の体に小さな刺青が入っている。


落語家など芸人の中には、派手な刺青をしたものがいた。その代表格が、3代目桂文團治である。任侠から芸人になった文團治は、体中に花札の刺青を彫っていた。茶屋の座敷でふんどし一丁になって、芸者などに花札を数えさせるのが好きだったが、数えると雨のカスが一枚足りなかった。それを言うと、文團治は黙って足の裏を上げたという。芸人とアウトローのかかわりを示すエピソードである。
 

1950年以降、もともと刺青に対するタブーや抵抗感が少ない欧米では、カウンターカルチャ―の一つとして刺青が大流行した。あたかもファッションのように、体に刺青をする若者が増えた。彼らの刺青の記号は「反体制」である。


良く考えてみればわかることだが、刺青は「ファッション」ではない。ファッションとはその名の通り「流行」であり、移ろいゆくことが前提だ。髪型や服や持ち物のように、気分や、社会のトレンドによって変えることが出来ることが前提だ。一度体に彫ってしまえば、半永久的に変更することも、元に戻すこともできない刺青は、ファッションではない。そのことに気づいて後悔する人の刺青の記号は「愚か者」になる。


そして、現代社会では、刺青はピアスとともに身体改造であるとされ、「変身願望」あるいは「自己否定」の記号ともなる、さらに、広義では自傷行為に含まれる。「自己防衛」や「自己再確認」をも意味する場合がある。

 

さて、刺青を彫るという行為は、今まで述べてきたような記号を身にまとうということだ。「強さ」「一途」というポジティブな記号も一部にあるが、多くは「反体制」「アウトロー」などの否定的な記号の方が多い。

刺青をするという行為、そしてそれを人前にさらすということは、人からそうした「記号」で見られるということだ。一見、それは不当なことに思えるが、そうではない。刺青は、自分の意志で、好き好んで入れているのだ。
 
刺青をしているが、変な目で見ないでほしい、というのは世間には通らない話だ。

一過性の気の迷いや心の病がもとで、刺青をした人が、生涯そういう目にあうのは気の毒ではあるが。


刺青にまつわる「記号」は、長い歴史を通じて人々の意識に沈殿したものだから、それを改めよというのは難しい。価値観は変わりつつあるが、まだ刺青に対する評価は、ネガティブなものが多いのだ。

刺青をしたからと言って、迫害されるのは不当だが、世間の「目」「評価」は甘んじて受けなければいけない。

その上で、刺青をして世渡りをしていく、というのは勝手である。中には、素晴らしい人生を送る人だっているだろう。

 

大阪市の職員が刺青をしているということは、公僕が「反体制」「アウトロー」などの記号を発信していることになる。見えないところにしていたとしても、その人間は「アウトロー」の心性をもっているか、刺青の意味さえ考えない「愚か者」か、いずれかだ。

とくにある部署では、刺青をしている公務員の大部分が、就職してから入れたのだという。彼らの刺青から発せられる記号は「愚か者」に加えて「世間をなめている」ということになるだろう。


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