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日刊スポーツの記事から

 

日本相撲協会は19日、東京・両国国技館で、全親方らで構成する評議員会と理事会を臨時で開き、将来的な協会管理を決めている年寄名跡について、協会が親方から名跡を引き取る際に支払う方針だった「特別功労金」は給付しないことを正式に決定した。

一見しただけでは、なんのことか分からない記事だが、これは大相撲の改革が決定的に後退したことを意味している。

 



薬物事件、外国人力士を中心とした不祥事、そして八百長事件、ここ数年、ボディーブローをくらわせるように大相撲を弱らせたこうした事件は、規律が緩み、大相撲の伝統や文化的な意義、社会的な役割を理解しない愚かな力士たちが引き起こしたものだ。
 

その背景には、指導者たる親方衆の劣化があるとされている。


かつての相撲界は、一門の総帥たる親方の下、部屋住み親方が力士の土俵や生活に目を光らせていた。親方は弟子に相撲の技だけでなく、土俵上の態度や、力士として世の中でどうふるまうかも教え込んでいた。中学を出たばかりの若いお相撲さんは、親代わりの親方に仕込まれ、一個の力士、社会人になっていったのだ。


また、当時の大部屋には、大企業がタニマチとしてついていた。三井財閥が出羽一門の後援者だったことは有名だが、こうした企業トップがまだ二十代の若い有望力士を、一流の料亭などさまざまなところに連れまわし、世の中を実地で学ばせたものだ。


こうしてお相撲さんは、親方やタニマチによって社会勉強をし、風格のある一個の力士になっていったのだ。

かつては、部屋持ち親方になれるのは、先代親方の後継者になった力士だけだった。中には自力で部屋を興すものもいたが、出羽一門のように分離独立を許さない一門もあり、多くは部屋住み親方として一門の総帥の補佐をしていた。


しかし、新興の二所一門が分離独立して勢力を伸ばしていった頃から、徐々に部屋の数が増えだした。独立すれば、部屋を自由の経営できる。堅苦しい規律に縛られることもない。また、タニマチも独自に作ることができる。

こうした風潮が広がり、引退して年寄株を得た力士は独立するのが当たり前になった。


昭和40年代には278しかなかった相撲部屋は平成16年には55にもなった。年寄名跡は105(+一代年寄2)だから、二人に一人以上が部屋持ち親方になる時代になったのだ。


まるで核家族のような小さなユニットの部屋が乱立したのだ。


当時の相撲界の「ビジネスモデル」とは、「外国から力士を連れてくる」ということだった。1998年相撲協会は外国人力士を「1部屋1人」と定めた。しかし、おもに旧共産圏から連れてこられる若者は、例えばその国のレスリングのチャンピオンであり、蒙古相撲の名門の子弟であり、一級のアスリートだった。たとえ番付の最下位から相撲を取ったとしても、関取(十両以上、750人中80人以内)になる可能性は高い。関取ができれば部屋は潤うし、弟子は増える(=養育費と言う名の収入が増える)。旭鷲山を端緒とするモンゴルや東欧圏の力士の増加の背景には、こうした動きがあった。モンゴルなどでは有力な若者の周辺にはブローカーの影があり、裏で金が動いているという噂が絶えなかったが、多くのスポンサーはこれを「投資」と心得て資金援助をしたのである。


こうして連れてこられた外国人は、「金の卵」である。逃げられては大変だから、お客様として遇する。「相撲界の慣習を教え込む」どころの騒ぎではない。わがままは聞く、甘やかす。先輩力士たちが付け人のように気を配るのが通例となった。


小さな部屋には小さなタニマチがつく。新興のベンチャー企業などだ。彼らは力士を連れまわして派手に遊ぶことはあっても、社会のマナーを教えるようなことはない。力士を甘やかし、増長させるタニマチも多かったのだ。

大相撲の部屋の経営は、うまみのあるビジネスになった。タニマチに建ててもらった部屋に外国人力士を一人連れてきて、数人の弟子を取れば、あとは安泰である。平年寄の月給は80万円弱。これに力士一人当たり115千円の養育費などが入ってくる。あとは適当に部屋を回し、タニマチのご機嫌伺いをすれば65歳まで安泰なのだ。しかも、定年が近づけば、年寄株は転売することができる。その価格は数億円と言われた。


こうした相撲部屋の「変質」によって、大相撲力士の「劣化」が起こったことは間違いがない。馬鹿なことをする力士は、いい加減な親方が作ったのである。
不祥事が起こると、親方衆は、自らの身を守るために力士の首をどんどん差し出した。モラルハザードここに極まれりである。


大相撲改革の眼目は、こうした「利権化した年寄株」を相撲協会管理とし、協会の管理監督の下、適格者を部屋の運営者にし、伝統に回帰した力士の育成を行うことにあった。そのために一旦すべての年寄株を相撲協会が「特別功労金」と言う名の金額を支払って引き取ることになっていた。


しかし、105ある年寄株を買い取るには莫大な費用がかかる。このところ不入り続きの相撲協会には大変な負担になる。しかも大部分の親方は、この改革に大反対をしていた。
 

先代理事長の放駒親方のときに決まったこの改革案は、一連の不祥事の責任を取って辞任した北の湖親方が理事長に返り咲くとともに、骨抜きにされた。また監督官庁たる文部科学省もこれを黙認することになった。


かくて、大相撲改革の眼目たる「相撲部屋改革」は、完全に骨抜きになった。名目上は、年寄株は協会が管理していることになっているが、実質は今までの連中がそのまま年寄名跡を名乗っている。また、金銭を支払って年寄株を譲渡することはできないことになっている。しかし、あの手この手で八百長をしてきた業界である。裏での取引などわけはないのである。


相撲界はまたも自浄能力を示すことができなかった。今いる105人の親方衆の生活を守って、未来への道を断ったのである。残念としか言いようがない。

 

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