先週、私たちが文章を書く上で目標にすべきことは「達意の文章」だと説明した。
日本語の文章というのは未熟で、書きなれない人が書いてもなかなか伝わらない。
だから、文章を書く上で目指すべきは、ただ一つ。「書いてあることが相手にわかる」ことなのだ。
「書いてあることが相手にわかる」文章、
私はそれを「水みたいな文章」と呼んでいる。
「水みたいな文章」とは、どんな文章なのか。
私たちは、水を飲むときに、取り立てて意識を集中させたりしない。何気なくコップを口につけて、そのまますっと液体を口に運ぶ。他の液体と違って、水は何の抵抗もなく体内に入っていくはずだ。
「水みたいな文章」とは、読む人が神経を集中させなくとも、何気なく読んでいても、自然と意味がわかるような、そんな文章のことを言う。抵抗感なしに、すっと頭に入ってくるような文章だ。
「水みたいな文章」の反対は何だろうか?
固い石のような文章?泥水のような文章?
いろいろな表現ができるだろう。「水みたいな文章」=良い文章は、一つしかないのに、悪い文章は、いろいろなパターンがある。だから例えもいくつもできてしまうのだ。
悪い文章にはいろいろなパターンがある。
しかし、多くの人が書く悪い文章には、一つの傾向がある。
それは「芋つなぎ」といわれるものだ。
芋掘りをしたことがある人は、思い当たるかもしれないが、芋畑を掘り返すと、根っこでつながった芋が、いくつもいくつも続けて出てくる。
「芋づる式」とはこのことだが、「芋つなぎ」の文章もこれによく似ている。たとえば、こんな文章。
例文1)
明日の会議で、私は下半期の売り上げ予算を発表しなければならなかったのだが、直前に大きなクレームが入り、来月の売り上げが減る可能性が出た上に、営業マンからの売り上げ予測が全部届いていなかったために、予算の発表ができなくなり、次回の会議に発表を遅らせることにしたが、部長から、それではうちの部の営業予算もおくれてしまうので、何とか明日までに数字をまとめ上げろと言われたので、急きょ部下を全員集めてもう一度予算の精査をすることになり、私も部下も徹夜することになった。
いくつもの意味のある塊が、だらだらとつながっていて、まるで芋のつるのようだ。読むのが嫌になる。
これはもちろん極端な例だが、いろいろな内容がごたごたと詰め込まれていて、結局、何が言いたいのかよくわからない。
こういう文章の純度を上げ、「水」に近づけるには、どうすればいいか?
答えは簡単だ。芋づるをぶちぶちと切って、芋を単体にすればいいのだ。芋づるを切るとこうなる。
例文2)
明日の会議で、私は下半期の売り上げ予算を発表しなければならなかった。しかし直前に大きなクレームが入り、来月の売り上げが減る可能性が出た。おまけに営業マンからの売り上げ予測が全部届いていなかった。だから予算の発表ができなくなった。そこで次回の会議に発表を遅らせることにした。しかし部長から、それではうちの部の営業予算もおくれてしまう、何とか明日までに数字をまとめ上げろと言われた。そこで、急きょ部下を全員集めてもう一度予算の精査をすることになった。このために私も部下も徹夜することになった。
こういう風に文章を意味のあるひと固まりごとに切ることで、一気にわかりやすくなる。
文章の純度を上げて、「水」に近づける第一歩は、「一つの文章では一つのことしか言わない」習慣をつけることなのだ。
こんな風に文章をぶつ切りにしてしまうと、なんだか無味乾燥になったように思えるかもしれない。気持ち、熱意が伝わらないように思うかもしれない。
でも、あなたが「気持ち」だと思って書いているその部分は、読む人からすると「なんだかもやもやして分かりにくいもの」に受け取られているかもしれないのだ。
前回、現代の文章は、話し言葉をそのまま文章にした「口語文」だと説明した。
しかし、厳密には、話し言葉はそのままでは文章にはならない。話をするときに、例文2)のようにぶつ切りで話す人はいない。むしろ例文1)のように、だらだらと意味をつなげて話す方が普通だ。でも、話し言葉をそっくりそのまま文章にすると、意味が分かりにくい、悪い文章になることが多いのだ。
人が誰かと話すときには、言葉=音声、顔の表情、身振り手振りなど、文字情報とは比較にならない多くの情報が相手に伝わる。少々のおかしな言葉づかいは、感情表現が補ってくれるので、気にならない。
しかし、書かれた文字しかない文章ではこうはいかない。ごたごたした文章は、相手に伝わりにくいのだ。
「水みたいな文章」を書く第一歩として、「一つの文章では一つのことしか言わない」習慣を身につけるべきだ。
そうすれば、あなたの文章は、見違えるように「純度」が上がるはずだ。
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