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自民党幹事長時代の小沢一郎が、次期総裁候補だった宮沢喜一らを個人事務所に呼んで面接したのは、1991年のことだった。当時小沢は49歳。今の私より若いのだ。
当時、野田佳彦総理は千葉県議会議員。翌年日本新党にはせ参じる。
自民党谷垣禎一総裁は、衆議院議員当選三期目。地盤を野中広務と分け合っていたが、この地盤割りをしたのはほかならぬ小沢一郎だった。



当時の小沢一郎は「剛腕」といわれた。様々な問題をはらんだ案件を、えいやっと強引に片づける手法で、湾岸戦争への自衛隊派遣や、自民公明の連携などを実現させていた。

財界での人気も高かった。規制緩和や減税などを求める財界人は、小沢一郎に期待を寄せていた。

また、選挙に抜群に強いことでも知られていた。地盤割りの名手であったとともに、資金集めでも圧倒的な実力があった。
 

そういう小沢の持ち味は、大師匠だった田中角栄とそっくりだ。田中は高度経済成長の総仕上げとして『日本列島改造論』をぶち上げたが、小沢も総裁候補を面接した翌年、『日本改造計画』を上梓した。
 



ただ、田中角栄と決定的に違うのは、小沢一郎は「大衆的な人気」が、全くなかったことだ。


小沢一郎は「老人ころがしの名手」であり、政治経済の玄人は、その手腕を高く評価した。しかし、小沢は一般の人々に自身の考えをわかりやすく説明する能力において、決定的に劣っていた。その必要性さえ感じていないように思えた。


田中角栄は「金脈事件」「ロッキード事件」によって、刑事被告人となり、首相を退陣。この時期からイメージは一変、以後は「闇将軍」といわれ、非公然の立場から政界に強い影響力を及ぼすようになった。


小沢一郎は50代からたびたび総理総裁になるよう先輩政治家から推されたが、その都度固辞し、他の政治家を後ろから支える役に回っていた。このポジションの取り方も「闇将軍」田中角栄に学んだのかもしれない。また自分の
人気 の無さを自覚していたのかもしれない。


ただし、小沢一郎は反対勢力を懐柔したり、巻きこんだりする手腕はそれほどなかったように思う。田中角栄が、野党や対立する勢力を次々と籠絡していったのとは対照的だ。もっともそれは「札束」の力だったと言われているが。小沢は反対勢力には「屈服するか」「潰されるか」を迫るのが常だった。


93
年、小沢が作った宮沢内閣が、当の小沢一派らの造反によって不信任案を可決されると、小沢は自民を出て細川護煕をかついで、新政権を樹立。小沢は「隠然たる力」を有するようになる。

以後、転々。小沢は94年に初めて野党になる。小泉純一郎がひと時代を築いている間、小沢は反自民勢力の離合集散の中心にいた。そして、2009年、15年ぶりの政権返り咲きでは、小沢は「小沢チルドレン」と呼ばれる新人候補を大量に擁立、得意の選挙に勝って、政権奪取を実現した。恐らく、最大の功労者だったのだと思う。


しかし、民主党初代総理の鳩山由紀夫は小沢の言うことを聞いたが、意外なほどにあっけなく無能を露呈、以後、小沢の意に染まぬ総理が二代続くなか、小沢の神通力は通用しなくなった。


小沢の政治手法が通用したのは、与党が与党たる陣容を持ち、派閥が機能していた時である。派閥の領袖さえ抑え込めば、政治家が束になってついてくる。そういう仕掛けがあればこそだった。今の政治家の多くは、師匠たる先輩政治家を持たず、地盤や人脈も脆弱だ。政治信条や信念ではなく「選挙に通るかどうか」で右往左往する。勝ち組に回ることに汲々としているのだ。


野田佳彦総理が、敵軍たる自民、公明と本気で手を結んだために、小沢一派は「負け組」に回る様相が濃厚となった。


小沢は「小沢チルドレン」とともに、城を出ることになりそうだ。おりしも『週刊文春』が、夫人の告発文を発表しており、イメージはさらに低下している。

 

今回、小沢は消費増税の問題を争点にしたが、かつては消費税を7%にして「国民福祉税」にするという政策を進めたこともある。状況は全く違うだろうが「政争の具」という印象が強い。

 

政治には全くの素人の私には、小沢という政治家が、どんな主張をし、どういう政策を進めたかったのかはわからない。最近になって、ニコニコ動画で、自らの考えを発表し、上杉隆など一部のジャーナリストの強い支持を得ているが、それもよくわからない。

 

しかし、今の政治家の多くが小沢にとって最大の武器である「隠然たる力」というのを良く理解していないこと。そして、流動化する政治の世界が、小沢一郎を追い越して行ったことだけは間違いがないように思う。

 

20年ほど前、東京駅の新幹線のホームで小沢一郎を見かけたことがある。当時食品関係の会社で販促を担当していた私は、持っていたカメラで写真を撮った。

会社に戻り、女の子に現像を頼んだ。出来上がってきた写真をアルバムに整理するとき、店舗のファサードや陳列の写真が延々並ぶ中に、たった1枚、あの陰気な大仏のような顔が出てくると、女の子は軽く声を上げて、その写真をアルバムからはじき出した。
 

小沢一郎と聞いて、具体的に思い出すことは、今のところこれしかない。


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